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【訃報】歌舞伎研究の第一人者 河竹登志夫さん死去 

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【訃報】歌舞伎研究の第一人者 河竹登志夫さん死去 







歌舞伎研究の第一人者で文化功労者の

河竹登志夫(かわたけ・としお、本名俊雄=としお)さん
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が6日午後0時28分、心不全のため東京都渋谷区の病院で死去した。88歳だった。

東京都出身。葬儀は10日午前11時30分から東京都港区南青山2の33の20の青山葬儀所で。

喪主は妻良子(よしこ)さん。


ご冥福をお祈りします。



河竹 登志夫かわたけ としお、1924年12月7日生まれ

日本の演劇学者。

本名は俊雄。演劇研究家・河竹繁俊の二男として東京に生れる。

祖母(繁俊の養母)の糸女は幕末から明治にかけての歌舞伎狂言作者河竹黙阿弥の娘である。

成城高等学校、東京大学理学部卒業、早稲田大学第一文学部演劇学科、同大学院を経て

ハーバード・エンチン研究所客員研究員として招かれた。

1964年、早稲田大学教授を経て、現在名誉教授。1974年東京大学文学博士。

「近代日本演劇とハムレット : ハムレット移入史の研究」。1990年、共立女子大学教授。

ウィーン大学、北京日本学研究センターの客員教授。

日本比較文学会会長、放送文化基金理事長、日本演劇学会会長、日本演劇協会会長を歴任した。

現在、公益法人都民劇場理事長。

歌舞伎を西洋演劇との比較で論じる比較演劇が専門で歌舞伎の海外公演に同行し、

観客の反応を調べたりした。1968年、『比較演劇学』で芸術選奨新人賞、

また1981年、黙阿弥没後の河竹家の歴史を描いた『作者の家』で読売文学賞、毎日出版文化賞受賞。

1987年、紫綬褒章受章。

1994年、国際交流基金賞。

1995年、旭日中綬章。

2000年、恩賜賞、日本芸術院賞。

2003年、放送文化賞。2001年、文化功労者。

2010年5月、日本経済新聞の『私の履歴書』を連載した。
(Wikipediaより)











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